天の川が空に輝く七夕の夜。もうすぐ日付も変わろうかという深夜帯の事だ。 凪たちの住む町から遠く離れた、普段は人気のない廃工場。今はその建物に何台もの車が停められ、多くの人間が出入りしている。その中でも一際目立つのが中性的な容姿を持つ黒ずくめの男・・・テロリン幹部『紅』と、その紅に土下座をしたまま震える初老の男だ。 「オジムがお前に命じたのは、爆弾の素材となるレアメタルの調達だった。しかしお前は資金が不足するため要望の量は揃えられないと言った。そこでオジムはお前の娘を担保に必要分の資金を貸し付けた。そしてお前が期日までに指定通りの素材を揃えられれば、娘はお前に返すし貸した金も回収しないという破格の条件までつけた。そこまでは間違いないな？」 紅は何の感情も見えない平坦な声で淡々と確認する。初老の男はぶるぶると震えながらかすかに頷いた。かろうじて「はい」と口にしてはいたが、その声は恐怖でかすれて聞き取れないほどに小さかった。 「紅サマ～」 廃工場の中から、ゴシックドレスを纏った若い女が出てきた。テロリンの日本地域における幹部である『天ノ杓エリスロ』だ。その顔は面白くなさそうな様子である。 「今しがた技術班の人たちと確認したんですけどぉ、やっぱり素材が足りないですねぇ。きっかり半分の量しかないですぅ」 「そうか。つまりこいつの話は正しかったと。分かった、オジムに伝えよう」 この日、紅とエリスロは今度の作戦に必要となる大量の爆弾を製造するため、その素材を支援者から回収していた。しかし回収する時になって、この支援者が「相場の変動により半分しか集められていない。あるだけは渡すので、残りはもう少し待って欲しい」と言い出したのだ。 「お・・・お願いします！もう少しだけお待ちいただければ、格安で譲ると言ってくれている仕入先があるのです！遅れた分、借りたお金も必ずお返しいたしますので、どうか娘だけは・・・！妻にも先立たれ、あの子はたった一人の私の家族なのです！どうか、どうか！」 「少し待て。それは俺ではなくオジムが決める事だ。エリスロ、素材の積み込み指示をしてきてくれ」 「はぁい♪もちろん、それぞれの車に少しずつ全種類を積むようにしますねぇ」 エリスロが廃工場の中に戻っていく。丁度、紅のスマホにメールが届いた。 「オジムから返答だ。『あるだけの素材を回収せよ。相場変動の件は了解した。働きに応じて娘は返却する。貸し付けた金銭の返済は不要』だそうだ」 「ああ・・・！ありがとうございます、ありがとうございます！」 男は感謝の涙を流し再び地に頭をこすりつける。しかし、続けて紅の口から出た言葉は。 「そして『右と左、希望があれば教えて欲しい』ともあるな」 「み・・・右と左・・・ですか？」 いきなり選択肢を提示され、意味が分からないという様子で紅を見上げる男。紅はやはり、何の感情もないままに説明する。 「働きに応じて娘を返すと言っただろう。お前は半分しか素材を揃えられなかった。だから、お前に返す娘も半分にして返すという話だ。そこで右半身と左半身、どっちを返して欲しいのか希望があれば聞くという事だ」 男の顔から血の気が引いた。紅の足に縋り付き、何とか声を吐き出す。 「おま、お待ちを！それならば娘を今返してもらう必要はありません！素材は必ず指定通りの量をお持ちしますので、それまでなんとかっ・・・！」 「もう『カット工程』は終わったそうだ。左右の希望が無いのならそう伝えるぞ」 あまりにも無情な紅の宣告。初老の男はがっくりと項垂れ、やがて怒りに震えて歯茎を剥き出しにした顔で紅に食って掛かる。 「悪魔め！これまで私がどれだけ協力してきたと思っているんだ！全て暴露してやる、警察にも世間にもだ！あのエリスロとかいう小娘ももうアイドル活動などできんぞ、お前たちの計画は台無しになる！」 「それはない」 紅はすっと腰の後ろから拳銃を抜いて、叫ぶ男の口の中に無造作に弾丸を撃ち込んだ。ぽん、という乾いた音と共に男の声は途切れ、辺りには静寂が戻る。 「死人は何も語れないからな」 紅が銃を仕舞うと、指示出しを終えたエリスロが外に出てきた。 「あーあ、死んじゃいましたねぇ。レアメタルの支援者、まだいましたっけ？」 「日本はもう無いが、それ以外なら何人かいる。日本で作戦を行う際には若干手間になるが、そちらから運ぶしかないだろう。まあどの道、オジムはこいつの仕入れ能力に既に見切りをつけていたようだが。テロリンの支援者は多いが、能力の足りない者や思想の揺らぐ者もいる。そしてこいつは、その両方に該当していた」 紅はスマホを操作して、娘を返す相手がいなくなった事を返信した。エリスロは、そんな紅を憧憬のまなざしで見上げる。 「ね、紅サマ。積み込みが終わるまで、エリスと少しお話しません？」 「議題は何だ」 「そうですねぇ。今日にちなんで七夕伝説とかどうです？織姫と彦星の。あれって元々中国の織女牽牛伝説なんですよね？」 「知らん。殺しに関係の無い事は学んでいないからな」 紅の受けた教育は、全て殺し屋としての技能に必要なものばかり。七夕の逸話などマフィアが教えるはずも無かった。エリスロは天の川を見上げて話を続ける。 「真面目に働いていた男女が夫婦になった途端、お喋りばかりで働かなくなったから天帝っていう神様に『一年に一度だけしか会っちゃダメ』って引き離されたって話なんですけどね。その女の方って天帝の娘で、働いてばっかりの娘を心配した天帝が結婚させたのにですよ。自分勝手な話ですよねぇ。神様なんだからそれくらい予見しとけよって思いませんかぁ？やっぱり神様と言えど、家族が絡むと目が節穴になるんですかねぇ」 「その話だと男の方も結婚前は働き者だったようだが、結婚して二人とも仕事より伴侶を優先し出したという話なんだな？つまり、何を大切にしているかで行動パターンが変化するという事か。中々始末できない厄介な奴がいたら情報を集めてそいつの行動を予見し手を打つというのは有効そうだな」 七夕伝説の話から転がりそうもない方向に話を転がす紅に、エリスロは笑う。 「ちなみに紅サマ、一年に一度しか大切な人に会えないってどんな気持ちか分かります？エリスは一年に一回しか紅サマに会えないなんて嫌ですよぉ」 「大切に想う人間がいた例がないから知らんな。それに、重要度の高い人間とは必然的に年に何度も会う事になる。望むにしろ、望まないにしろな」 「・・・江楠真姫奈、でしたっけ？何度も紅サマの邪魔してる女」 「あれは俺が見てきた中で一番厄介だ。オジムも『殺さず捕らえろ』と厳命しているくらいだ。もしあれが死んだら下手なサイバーテロよりも混乱が起きるだろうからな。うるさいのは御免だ」 紅は夜空をふと見上げた。空で輝く星々と、地上で輝く町明かりを見比べるように。 「全ての人間が消えれば、俺の仕事も終わる。その時初めて、気兼ねなく眠れるような気がする」 天の川が空に輝く七夕の夜。災厄の時は、近い。