屋根の上から入学する
2026-03-31 10:06:42
対象年齢:全年齢
参加お題:入学式
賢者の学院の屋根は、思っているよりずっと高い。
斜めに切り立った屋根の縁に腰を下ろし、ダキニラはぼんやりと中庭を見下ろしていた。整列した新入生、壇上の教員、どこか息の詰まるような空気。
「……もう始まるね」
串焼きの最後をかじりながら、どうでもよさそうに呟く。
風が吹き、茶髪と狐の耳と尾がゆるく揺れた。
急ぐ理由はない。呼ばれているわけでもないし、行かなくても困るのはたぶん向こうだ。
「もうすぐに始まるでござるよ」
背後から声。
ダキニラは振り向かない。
「知ってる」
「ほう、知っていてこの余裕。さすがでござるなぁ」
ふひひ、と笑う気配。
いつの間にか、そこにいる。
黒髪の少女――シャーリーは、最初からいたかのように屋根の上に立っていた。金縁の赤マントが風に揺れる。
「来ぬのでござるか?」
「行くよ、そのうち」
「“そのうち”とはまた便利な言葉ですな~」
ふひひ、と喉を鳴らす。
ダキニラは軽く肩をすくめた。
「そっちは? もう仕込み終わってるんでしょ」
「仕込みとは人聞きが悪いでござるな。準備でござるよ、準備」
「同じだって」
一拍。
シャーリーは否定しない。ただ、楽しそうに目を細める。
「で、どうするでござる?」
「どうもしないよ」
ダキニラは立ち上がり、屋根の縁に足をかける。
眼下には、居並ぶ新入生たち。
「行くだけ」
「そうでござるか」
止めもしない。促しもしない。
ただ、そこにいる。
――最初からそうだったみたいに。
「じゃ」
軽く手を振るような仕草だけ残して、ダキニラは踏み出した。
空へ。
重力に従うには軽すぎる動きで、身体が落ちる。
くるり、と一回転。
マントがふわりと広がり――
すちゃ。
音もなく、着地。
膝を軽く曲げ、衝撃を殺し、そのまま立ち上がる。
視線が集まる。だが、騒ぎにはならない。
それだけで分かる。
ここは、そういう場所だ。
「遅い」
すぐ横から、低い声。
ダキニラは視線だけ向ける。
銀髪の少女が、すでにそこに立っていた。
風に揺れる長い髪。わずかに覗く尖った耳。青と金のマントは、学生のものより明らかに上質だ。
リリスは微動だにせず、ただこちらを見ている。
「もう始まる寸前だぞ」
「間に合ってる」
「フン……」
わずかに鼻で笑う。
「そういう問題じゃない」
「そういう問題だよ」
ダキニラはあっさり言って、歩き出す。
整列した列の隙間へ、そのまま自然に入り込む。
誰も止めない。
止める理由がない。
「……相変わらずだな」
背後から、リリスの声。
冷たく、だがどこか納得している響き。
「そっちこそ」
振り返らずに返す。
二人は並ばない。
ただ、同じ方向を見ている。
壇上では、お偉いさんによるありがたい演説が始まろうとしていた。
祝辞、規律、未来。
どれも遠い。
ダキニラは胸元の聖印に触れた。
金色の車輪が、わずかに光を返す。
同じものを、あの屋根の上の少女も持っている。
「……まあ、いいか」
小さく呟く。
理由なんて後でいくらでもつく。
来たことだけが、事実だ。
風が一度だけ吹き抜ける。
屋根の上では、まだ、誰かが笑っている。
「ふひひ……そうですな~」
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